ROXY MUSIC
1971 - 2001

プロローグ

崇高なものからばかげたものへはほんの1歩なのだ(ナポレオン)

恋することの馬鹿らしさ。思いつめれば思いつめるほど他人にとっては喜劇に見える。ブライアン・フェリーの生み出すラヴソングは切実ですべてが恋する相手を中心に据えている。その事の醸し出す可笑しさ。しかし何故だかこのバンドの可笑しさはかたられない。

ロクシー・ミュージックはビートルズの後継者という言い方はされなかった。がマジカル・ミステリー・ツアーに登場するボンゾ・ドック・バンドのスタイルは正にロクシー・ミュージックの原形である。ヴォーカルはエルビスを意識。サックスをフロントに据えたオールド・スタイル。1970年代初頭のサックスはブラスロックとして、ホーンセクションという形をとるか類まれなテクニックを持ったメル・コリンズやトム・スコットというプレイヤーがソロをとるというスタイルが多かった。先週吹き始めたようなアンディ・マッケィのようなお世辞にも上手いとは言えないプレイヤーがフロントを固めるなど極めてまれなケースだった。面白いことに1970年代後半のパンク・ムーブメントには数々のサックス・プレイヤーが登場する。スージー・アンド・バンシーズやマッドネス等々。彼らのサックス・アイドルはアンディ・マッケィだった。

Bryan Ferryはある意味ではエミュレーターだった。もともと声質も良くないし声量もない。ルックスはノーブル。長髪が似合わない。加えて天才的なメロディメーカーでもない。通俗的な美的感覚とアート・スクールの書生気質を融合させる事で足場を固めてその上で様々なロックのスタイルを演じている。もう一つ付け加えるならばユーモア。日本で(なのか英国でも?)彼やRoxy Musicの音楽のユーモアや笑いは取り上げられていないが、僕にとっては重要な部分だった。恋愛を重要なテーマにすればこれは必然かもしれない。本人にとっては悲劇でも大方の見物にとっては喜劇。古今東西、恋愛物の宿命。で、ほんとコメディソングになってしまうのギリギリの線で踏みとどまって見せたのがあのバンドの曲だった。

1976年頃までRoxy Musicといえばゲテモノバンドだと言われていたことなど今となっては信じがたいかもしれない。再結成されてからのこのバンドの評判は大きく変った。

22年前に「Tokyo Joe」を聴いたときには初の東京公演を多少は意識したノベルティ・ソングかなと思った。が実際はハンフリー・ボガードと早川雪舟が共演した映画のタイトルをそのまま使った曲だった。この映画があることを知ったのも実は1992年。


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