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spectacled band wagon

シュロック・ホームズ物の優れている所は駄洒落つくしで流れを作り、リバウンドで事件を解決?してしまうというアクロバティックナ手際の良さ。それに加えて全体のフットワークの良さ、軽さがあげられます。

パスティシュというと軽いという印象があるけど、実際の作品を軽くするのはなかなか難しい。パスティシュとして優れたものを作ろうとすればそれなりに構成を緻密に仕掛けを施す。どうしても対象よりもフックワークは重くなる。元の本体が緻密で重厚なものであればより重厚で緻密で重々しくなるのもパスティシュとしては意味があるけど、そうでないとこれは厄介な問題になる。

で、シャーロック・ホームズというのはかなり場当たりな作品である。ドイルも軽い読み物と考えていただろうし、ダイナミックな展開が身上。原作者であるからあい矛盾することも平気で書いているし、ワトソンをジョンと呼ぼうがジェームスと呼ぼうが自由自在である。

「詳注版シャーロック・ホームズ全集(ちくま文庫)」を見ても、初期の作品には様々な事象についての解説や研究が主なのだが、後期の作品になると段々ホームズへの突っ込みと化してくる。「レディ・フランセス・カーファックス姫の失踪」などはとても笑えます。

残念ながらパロディをこういう方向で書いて行くと本体と別物になっていく。読者がこれは違うなぁと思ってしまう。どうしてもかなりの縛りを意識して原作の世界の中で表現して行く。そうすると結局軽さはかなり奪われてしまう。緻密に作れば作るほどなんだか重ったるく、マニアックな世界になる。1度はともかく再読する気のない作品になる。

その中でシュロック・ホームズは成功を収めている。面白さも原典からの置き換えも駄洒落も楽しめる。言葉の洒落といっても原典からミステリー関連のみならず例えば「純文字の殺人」は「サブタレニイアン・タワーズ」が現場である。知っている人は「サブタレニイアン・ホームシック・ブルーズ」と「オール・アロング・ウォッチタワー」が思い浮かびます。(どちらもボブ・ディランの曲。)そうなると犯人の名前は・・・。でもこのレベルというのわかっていることはともかく見逃してしまうもの、見当も付かないものが多数ありそうです。ま、再読の機会に新しい発見のあることを!

ロバート・L・フィッシュなりの縛りも段々重荷になってくるのか徐々に作品数は減り、間隔は開く。このあたりがシャーロック・ホームズと相似してくるのもちょっと面白い。結局原典に及ばず1981年に32編で作品は終ってしまった。

シュロック・ホームズの事件簿(The casebook of Schlock Homes)

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