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スクエア

ビートルズのメンバーはプロデューサーのジョージ・マーティンをエジンバラ公(エリザベス女王の連れ合い)と称していた。別にエラぶるというわけではなく真面目で折り目正しいというそんな部分をちょっと揶揄している。ビートルズのメンバーが繰り広げる濫痴奇騒ぎから距離を置き、もちろんドラッグにも手は出さない。素面のプロデューサーがいたからこそ、無事傑作アルバムが発表出来た。しかしそのマーティン氏もピーター・セラーズをはじめとするグーン・ショーのメンバーとコミック・レコードを作っている。また彼の著した本はユーモアに溢れている。ただ以前ならちょっとしたところ端折って話を面白くしていたのが最近では実証的で精確なコメントを求められる傾向があるけれど。

そのマーティン氏曰く、ジョン・レノンは止められる事を半ば期待しながらキツーイ事を言う。いわゆる「ボケ」という奴です。ポール・マッカートニーが突っ込み役?例の「神様」発言にしても相手が付き合いのあった女性記者で、ジョンのいうことに突っ込めない。例えば横にジョージ・ハリスンやポールがいれば、
ジョン「俺はキリスト様よりはポピューラーな存在になったぜ」
ジョージ「あぁ、その為にツアーの間中、ホテルのバイブルを自分の本と取り替えていたんだ」
とか、
ポール「でも彼の時代はレコードが無かったから不利だよ。彼だって『最後の晩餐』をレコーディングしていたらビリオンセラーは間違いなしだったと思うよ」

「Hello Goodbye」のプロモーション・フィルムで一番コミカルな動きをしているのはジョン。コネタというか芸を持っている。別に音楽の才能とは関係なく好きこそ物の上手なれだけどね。解散後のフィルムでもそんな姿は垣間見られる。ところでオノ・ヨーコ氏は何かユーモアを言ってることあるのかな?芸術に真面目な人なのだろうけど。

ピックガード

カール・ヘフナーのピックガードはいつから外れているのか。と、いきなり書き出しても意味不明かも知れない。ポール・マッカートニーのビートルス時代のトレードマークともいえるヴィオリン型のベースギターの話。もともとリッケンバッカー(のマッカトニー型ベースも含めて)やエピフォンカジノタイプなら普通に使う人はいるのだけど、カール・ヘフナーはあまりにもイメージが強烈で二の足を踏む人も多かった。が、1980年代の後半くらいからは別にパロディと断る事もなくむしろ素直に楽器構成を真似たバンドが出てきた。

その時カール・ヘフナーのあのキラキラした白いピックガードは外すのか?それとも?ただ白いだけでなくキラキラしている分なんだか子供ポイ感じが強い。でもビートルズの初期のイメージとしてはあのヴィオリン型のベースは強烈である。それに大体ジョンもジョージもギターは何本か持ち替えているにも関わらずライブのベースに関してはあれ1本しか使っていない。

付記:見落としていたのですが、1966年8月の最終ツアー(北米)ではピックガードが外れています。6−7月の日本公演ではまだついているので(フィリピン公演はちょっとわからない)この(例の「神よりポピュラー」などゴタゴタした)時期に外しているようです

1967年2月の「Penny Lane」のプロモフィルムは演奏シーンはないのだけれどラスト近くとりあえず楽器を持つところがある。ここでポールが手にするカール・ヘフナーのピックガードは外れている。次にカール・ヘフナーが登場するのは「Revolution」のプロモ・フィルムでここでもピックガードがはずれている。以降「Get Back」セッション、「Coming up!」のピートル・ポールや「Take it Away」、そして再開したワールド・ツアーでもずっと同じ物を使っている。つまりかなり長い事ピックガードの無いスタイルで弾いている。

あなた

幸せ太りのような人が歌っていたせいか、いえ作ったせいか、なんとなく妄想のような、切ない願望、というか彼氏もいないのに勝手に想像していると、思われがちですが、妄想は確かに妄想なんですが、何らかの理由により彼氏がいなくなったと、失恋−それもかなり極端な−彼氏が死んでしまったとか、そういう場面での妄想の歌なんでしょう、実際は。

最近LFのスタジオライヴでaikoの歌う「あなた」を聴いたのですが、これがなかなか良かった。個人的に今の日本で宇多田の次くらいに好きなのだからそりゃ結構甘くなる?いや、真摯に歌う感じが正攻法でなかなか引き込まれるものがありました。確かに悲しいと言うよりは未来の「あなた」を妄想している感じでしたが。

では「あなた」のベスト・パーフォーマンスは誰か?松田聖子がいまでもベストですね。最近の彼女を−というより「レッド・シューズ」以降ほとんど全部といってもいいですが、すっかり錆付いた状態の歌を聴いていると今では夢のようです。

トニモカクニモ当時も!色々あってもうそろそろ焼きが廻ったんじゃないかと思っていたころ、15年前の「夜のヒットスタジオ」、それこそ眉に唾付けながら(^^ゞ見ていたのですが、不覚にも鳥肌!それはそれは痺れるものでありました。


AS TIME GOES BY


20世紀の建築展」で初めて知ったのだがカサブランカと言うのは1940年代においては世界的に見ても先進的な都市だった。都市計画のプランに基づいて区画整理され考案された人工都市。名前にちなんだのか白を基調とした美しい景観。どれくらい先進的なものだったかと言う第二次大戦後のパリの都市計画のモデルにされた。どちらかと言うと先行して実験をしたと言う言い方も出来るかもしれない。パリから流れてくるとそこはパリより一層近代的な都市だった。その「カサブランカ」のあまりにも有名な挿入歌をアルバムタイトルに5年ぶりにソロアルバムをリリース。

「遂にその年齢に達しました」という挨拶。周縁を廻ってはいたけど決して本体には触れなかった。「2HB」でもキーワードとして「Here's looking at your kids」と台詞を引用するにとどめた。それゆえ、正直、タイトルを見たときにはちょっと失望しかけた。

これまでのカバーは曲を自分に引き寄せて世界を作っていた。「These Foolish Things」でもテンポを上げてリズミカルに歌うことでそれまでのスタンダードの世界とは一線を画してきた。その解釈がブライアン・フェリーの存在証明となっていたと思う。

しかし今回はまるで反対に4リズムのバックに合わせて声まで変えて(歌いこんだで作ったのか少し擦れ気味−またよほど声を押さえたのか歌の部分と演奏部分でノイズが随分違う。ヴォーカル用のマイクに年代物を使用?したのかな)スタンダード・ヴォーカルの世界に入り込んでいる。おなじみのメンバーは1曲のみフィル・マンザネラとアンディ・ニューマークが参加しているのみ。面白いのは楽器自体は年代物ではあるにもかかわらずバンドネオンの音が目新しい感じを出している。

自分でも意外だったがこのアルバムを良く聴いている。こちらの年齢が上がった所為なのか、こういう音にも退屈もしていないし、音の隙間も心地よい。

「AVALON」以来のRhett Daviesとの共同プロデュース。


Editions of you


田村正和さんが多少やつれ気味なのが気になるが、この所の作品の中では観客として楽しめる「美しい人」。思えば「総理と呼ばないで」「協奏曲」「じんべぇ」と相手の女性役に恵まれていないという気がしていた。う〜んまあ、恵まれていないと言うか僕がちっとも魅力を感じないと言うか。それが今回はとても魅力を感じている女優が出ている。それが楽しめる理由かも知れない。つまり「古畑任三郎・スペシャル」を一区切りとしてドラマ出演を停止した女優が若返って出演している。

山口智子の妹!などという呼び方もあるらしいけれど内山理奈にはほんとにウキウキしてしまう。頬の黒子まであるし。横顔のアップなどしげしげと眺めて改めて似ていることに驚いてしまう。正に new edition という感じ。


寿 or .....


どうやらCD化されない「 A Collction of Beatles Oldies」。この裏ジャケットが日本盤と英国盤では写真の向きが違う。基本的にはポールの着物に入っている「寿」の紋がちゃんと読めるのが日本盤。これが英国盤は裏返しになっている。日本文字が読めないからという話もあるけど、しかし、ジョージとリンゴのシャツも右前になっている。これは普通英国人なら間違いに気付くよね。またポールとジョージの髪型も逆になっている。'66年頃、ポールは前髪を左肩側から右肩側に流しているし、ジョージはその反対に右肩側から左肩側に流している。(ちなみにジョンは左肩側から右肩側に流している。初期はジョージも同じ方向だった。反発?していたのかな)これが英国盤では全部逆になっているのでちょっと不思議だった。英国盤には右利きポールが写っている。つまり何の意図もなければ日本盤が正しい。

意図?そんなものあるのかな?ただもし「SGT.Pappers」でワザワザ独り後ろ向きで写真に写り(CDのブックレットを見ればあれはポールであって、フォト・セッションに参加できず代わりにマル・エバンスが写っているというのは間違いだと思う)、マジカル・ミステリー・ツアーのフィナーレで黒いバラを胸に挿し、1942年生まれなら1969年にはどう転んでも27歳以上にはならないにも関わらず道端に「28IF」(この写真が撮られた8月の時点ならジョン・レノンが28歳!)のナンバープレートのフォルクスワーゲンをワザワザ配置したような意図 が存在したら?黒い着物を右前に着込み「寿」の文字が裏返しに写る。そんな仕込みが存在したとすれば英国盤が正しいということになるかもしれない。


バイバイライヴ


ステージを30分しかやらないとブライアン・エプスタインが決めたのはごく初期のパッケージツアー時代のこと。だからほんとの所あのスタイルを続けて行くのは如何にあのバンドが特別だとしても難しかったと思う。例のビートルマニアの絶叫スタイルも30分だから遣り易い?ってことも在ったかもしれない。2時間も3時間もやっていれば多少のメリハリはついたかもしれないから。

いろんな功績がありながら結局スタジアムコンサートという形ぐらいでしか歴史に名をとどめいてないって言うのも面白い。結局斬新なアイディアなんてうまれなかった

誰も聴かずに悲鳴を上げているだけ、脅迫、ホテルと会場だけの往復とメンバーが次々とライヴを止めたがる。そしてオーディエンスの前で演奏することがともかく好きだったポールも、その空しさについにライヴを止める決心をする。

もう一つ、止めたくなる理由は当時とても意識していたブライアン・ウィルソンが1965年からすっかりステージを止めてスタジオに篭っていたこと。驚異的に躍進してきたビーチ・ボーイズ・サウンドを聴くとき、自分もスタジオで自由にレコーディングに集中できたらという誘惑はライブの興奮を相当上回るものがあったと思うんだけど。


椅子の軋み


SGT.PAPPERSがCD化されたとき「A Day in the Life」のエンディングのピアノの残響の中に聞こえる椅子の音にみんな驚いていた。実はこの「驚き」にぼくは驚いていた。CDがリリースされたのは1987年でしたが、少なくもとその5年前からは聴こえていた。いや実際はもっと前から聞こえていたかも知れないけど、少なくともぼくはね。持っていたのは79800円のプリメインアンプ、95000円のアナログ・プレイヤー、25000円のMCカートリッジ、これに20000円位のヘッド・フォンというまあ初級レベル。これで1970年代に買ったLPを聴いたわけです。嘘じゃなくこの程度のレベルでエンディングの椅子の軋みは聞こえました。

結局どういうことだったんだろう?実は聞こえていた人もいたんだけどこの時は黙っていた。もしくは80年代にSGT.Pappersをまともにヘッド・フォンでなんて聞いている人なんてあんまりいなかった。そんな感じかな?


I've imagined


ジョン・レノンのインタビューは面白い。インタビューアの技量を問題にせずに面白い方向にもって行く。でもこれは結局ショービズの世界のこと。話が面白くなれば、受けるのは好きだから、とりあえず何か言ってしまう。良く言えばリップ・サービスだし、一方では嘘吐きって事にも成ってしまう。それはそれで芸であるし やろうと思っても誰でも出来るわけではないし。中には結構優れた言い回しだって生まれてくる。いやともかく面白い話を聞くのは誰だって嬉しい。でも真に受けてしまうのは困り者。

マッカートニー・バッシングでよくあったのはジョンが「ストローベリー・フィールズのレコーディングで実験された」というのを問題視するタイプ。でもこれって「レコーディング・セッション」を見る迄もなくマユツバくさかった。実際「ジョン命」って言ってたサザン・オールスターズの桑田さんも早くからジョン・レノンのような態度でレコーディングやられたらタマンナイなぁと話していた。ポールがいなかったらレコード作れなかったんじゃないかともね。
閑話休題。サザンの別のメンバーがとある番組でポールのことを散々腐して自分はジョンの曲が好みだと言いながら最後1曲演奏したのは「I will」だった。あれは何だったんだろう?ギャグなのか?「For no one 」「I'll follow the sun」といったレノン好みのポールの曲でもなくてよりによってマッカートニーのソロワークみたいな曲を選ぶとは?ギャグだろうなぁ、やっぱり。そうでなければ単にコードが簡単だった位しか理由が思い浮かばない

「ストーローベリー・フィールズ」では2つのパターンを作ったりするんだけれど結局途中でジョージ・マーティンに任せて逃げてしまう。自分の描いたイメージに近づけるのは相当に大変でうんざりするような作業なんだろうけどこれを途中で抛り出してしまう。当時のバンド内の力関係なんて言っているけど、誰が邪魔なんてするだろう?1つのパターンを止めてまた別のパターンを作れるなんて、ジョンかポールにしか出来やしない。「オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ」を100万回もやらされたなんて言っていたけど、それで良いもの聞かせてくれるならこっちはやって欲しかった。なんだかんだいっても最後は記録された音楽で繋がっている関係なんだから。そう思うとジョンに対して不満を持ってしまう。もう一回やりたいって言ってたけど????もし?って思う人はいるかもしれない。でもARTという奴は捕まえるときに捕まえておかない限り滅多に巧くは行かない。もう一回時間を置いて捕まえるなんて出来るかな?

まあジョンは自分が怠惰でひどい奴だと何度も何度も歌ってはいたけどね。

もともと「どっち派」だとか好きなんてことはなかったんだけど、ぼくがポール・マッカートニー贔屓になったのは、左利きのよしみとジョンの死後出てきたマッカトニーバッシングがあった気がする。もともとはジョン・レノンのギャグセンスの方がぴったり来てたし、マッカートニーのバラードは苦手だった。(「イエスタディ」はピンと来ることはなかった。この詞が身にしみたのは散々遣り込められけど12月9日にFMから流れていたのを聴いたときだけ)。でもともかく100万回でもやってイメージを近づけてくれる方がファンとしては嬉しい。それをしないであとから「あれはぼくのイメージと違う。みんなが邪魔したから」なんて言われるとがっかりする。だってこっちは聴くことが出来ないんだぜ、永遠に。
「I've imagined」は「I'll get you(She loves youのB面)」の歌詞より


吠えぬなら・・・・・・


ポール・マッカートニーは「The Beach Boys Today!」から影響を受けて「Rubber Soul」を、でブライアン・ウィルソンはその「Rubber Soul」を聞いて「Pet Sounds」を、でそのアルバムを聞いて超えるものができるかと取り組んだのが「Sgt.Pepper's」という。だけどあれだけジャケットに影響を受けた人物を登場を登場させたThe Beatlesも何故かこのThe Beach Boysを登場させてはいない。同時代のということなら、例えばBob Dylanや「歓迎! 」というセーターではあるけどRolling Stonesも名前だけはでている。どうして?肖像権?いや、The Beach Boysはアメリカ・キャピトルの所属だから問題はないはず。というよりまるで最初から候補にもあがっていなかった。

だけど、ここにちょっと不思議な共通項がある。「Pet Sounds」の最後は踏み切りの音と通過する列車に吠える犬の声である。なんだか人を不安にさせるような終わり方である。で、The Beatlesの方はアナログ盤ではループするメンバーの呪文?で終わっている。その直前にはなぜか犬へのメッセージといってなぜか20KHzの信号音が刻まれている。(アナログ盤のころにはこの音は聞こえる。というか多少共振しているからそれまでの部分との違いは聞き分ける事はできる。だからどうだということはナインだけど。)

The Beach Boysが犬の吠え声ならこちら犬を鳴かせてみるということなのだろうか。もちろん「Sgt.Pepper's」の中でも犬の声は入っている。コンサートというスタイルで始るこのアルバムは夜から朝へむかっている。コンサートの終了を告げる「Sgt.Pepper's Reprise」の前が「Good Morning Good Morning」。このエンディングに家畜の鳴き声が出てくる。この音に繋がる形でメイン・テーマがでてくるというのもなにか意味ありげである。

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