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Between the devil and deep blue sea

ジョージの今回のアルバムのカバーソング。仕上がりも良いですね。「君がすきだって訳じゃない、だけど居なくなっちゃうのは堪らない」(超訳(^^;)という詞を見ていると「You really got hold on me」が思い出されます。pure Smokeyのあの曲は2ndアルバムではジョンがリードを取っていたけれどLet it Be の中ではジョージがひときわ声をあげて歌っていました。ウクレレも良い感じだなァ。渡辺香津美さんもウクレレ弾かれていました(って白々しい?(^^;)が弾き手を惹きつけるなにかがあるんでしょうね。

dec.12.2002

Tribute Concert

dec.01.2002

Brain Washed

必ずしもこれがラストって訳ではないらしいのですが、一応1990年代以降のジョージの新作。アルバムは取り敢えず置いといて29日にはコンサートが開かれる。それにしてももう一年経ってしまった。マッカートニーやリンゴも参加するけれど寧ろトム・ペティやライ・クーパーの方がなんだか良い時間を過ごしたんではないかなぁと感じている。ゴールデン・ジュビリーのクラプトンとポールの絡みも必ずしも抜群というものではなかったらネ。まあそんなことどうでもいいかな。

Brain Washed

nov.28.2002

月光浴

評価の高い歌詞をよく聞いておこう、と思いながら聞き始めるのですが、ついつい音に耳を澄ましてしまう。独創的なピアノではないけれど声と溶け合っていての心地の良さに浸ってしまう。

最近はエッセイも書かれていたりして活動も軌道に乗りつつあるようです。そのなかでこの曲を改めて音源化するのにはなにか苦労もあったようです。
Barks Music Explorer 柴田淳 / 月光浴

ところでピアノといえば「ゴールデン・ジュビリー・コンサート」の「While my guitar gently weeps」でポール・マッカートニーはピアノ弾いていましたねぇ。確かにあのギャロップみたいなピアノはポールのアィディアですからオリジナル・レコーディング通りなんですけど。できればあのリッケンバッカーでベースラインを弾いて欲しかったなぁ。クラプトンとのコラボレーションを十分意識して饒舌なジャック・ブルースの向こうを張ってとてもとても寡黙な沁みるようなベースラインを。あのラインをオリジナルに忠実に演奏されることはほんとに少ないですから。

aug.16.2002

Genesis ユーモア

ユーモア音楽、と言うと最初から冗談音楽というか御笑いを意識させたものだと思われてしまう。この辺のレッテルを貼られていてもレベルの高さでその音楽性をも評価されていたのは10cc位だろうか。ただ実際のところ多くのイギリスのバンドは常にユーモアを意識している。あのRoxy Musicもずいぶんとユーモアはちりばめられている。さて、ここではGenesis。彼らの1973年のアルバム「Selling England By the Pound」。

マイ・フェイバリットにしてまたゲイブリエル在籍時の名作の声も高い。巻頭を飾るのはタイトルを織り込んでいる「Dancing with the moonlit Knight 」。月影というよりは月下の騎士ではありますが、ともかくちょっとクラシカルな騎士と言う言葉を出しながら社会時評するといった内容の楽曲です。当時のイギリスの山猫スト−新聞も発行されなかった−なんていう時代を歌いこんでいます。実際トニー・バンクスのキーボードが縦横に展開するサウンドがまあ、まさにプログレだったのかもしれません。

さて、ここでちょっと気になる歌詞があります。

無論当時の現代性とちょっとクラシックな騎士を対比させていると言うことも言えます。でもこの緑の盾の騎士がなんとなく引っかかる。そんな騎士が居たのかなと。実のところ音を聞いているとこれが Night of the green sealed stamp and shout に聞こえたわけです。糊つきのグリーン・スタンプの夜とシャウト。こう書くとなんだかわからないかも知れません。グリーン・スタンプ?そうです、例の商店街で買い物をすると金額に応じてくれるクーポン券。日本でもグリーン・スタンプ(チップ)ってありましたよね。リスのものもあったなぁ。ノートに貼っていって何冊かたまると景品と交換してくれるやつです。で、それとこの曲が一体なんの関係があるのか?

ピーター・ゲイブリエルの評伝によるとこの実この頃、マイケル・ラザフォードやトニー・バンクスはグリーン・スタンプに恐ろしく嵌って居たそうである。買い物に行くときも必ずグリーン・スタンプをもらえるところで買ってくるように厳命する。コレクターというのにはちょっと妙だけどなにか熱中していたようです。残念なからこの評伝ではこのエピソードと曲を結び付けてはいません。でも如何でしょう?

このアルバムではインストルメンタルのパートが増えて相対的にゲイブリエルのヴォーカル・パートが減少しています。そのあたりの不満はゲイブリエルはあったのかもしれない。あのゲイブリエル君、トニー・バンクス君の夜の叫び!をユーモアをこめて歌いこんで、ちょっとばっかりここで憂さを晴らしていたと、そんな企みが感じられませんか?

mar.22.2002

mju:

「哀しい気分になるね。もうこういう風には歌えないけれど、ただキャリア、それにいろいろな人生体験の深みで補っている」。20歳頃のちょっと聞くと勢いは良いけれど荒削りな歌を聴いたホセ・カレーラスは話していた。今から10年少し前、当時世界3大テナーと称賛されていた頃の話し。意外な思いとほんとに美しい時は短いと改めて知らされた

プレークする前のアーティストを知っていたと言うことを自慢にするのは相変わらずあるのだろうか?流石に「ブエナ・ビステ・ソシルア・クラブ」のときは馬鹿馬鹿しさも極まれりでしたね。もともとあそこに登場するシンガーやミュージシャンの活躍したのはもう50年近く前。温故知新でライ・クーダーが取り上げた。もちろん北米ではヒットしたしあのアルバム自体は新しいものであったし、曲自体も始めて聞く人も居たとは思う。でもだからってあの時期のキューバまで称賛している連中には馬鹿だなぁとしかいいようがなかった。キューバ自体は決して良い状態ではなかったし、音楽に関して言えば90年前半あたりから優れていたし。その意味ではその辺のカルチャーライターなんて村上龍の足元にも及ばなかった(^^;

なんて言う風に散々、余計なことを書くのは最近とても良いと思った mju: がまだデビュー曲も出していないし、よく考えるとちゃんと歌を聴いたわけではないから。今のところその佇まいを見たことと、杏里のピンチ・ヒッターで歌う Forgive Yourself を聞いただけ。とりあえず声はとても良い。素直に流れるような歌い方も好みである。いま18歳というから少なくとも最高の「声」を聞くチャンスはあるように思う。

mar.3.2002

way

TVKの「新車情報」のエンディング・テーマに流れたいた「それでも来た道」は、なんとなく気になる曲。最初は近頃よくある70年代風のサウンドなのかと思ったのだけれど、そういうものではなかった。メロディはメランコリックでピアノの飾りもサラッとしている。PV は至ってシンプルであるけれどただ歌う横顔はとても良い。

柴田淳 オフィシャル

feb.14.2002

what a diffarence day made

宇多田船長は、NYでのケイザイ・フォーラムでちょっとしたライブ・バーフォマンス。ってこれが別にそんなに意外な気がしないのがなんとも天晴れ。もちろん例えばサカモト教授などもこの手のイベントに参加することはあるだろうけどね。ただちょっとニュアンスが異なるように思う。彼女は特別と言えばそうなのかもしれないが、ある種の中央集権的な英米音楽シーンが降りてきているという部分もありそうだ。
もっとも競演のメンツのなかにはピーター・ゲイブリエル(Happy Birthday!-ってこれの為に書いていたりして(^^;)なども居て、最近は何を歌っているんだろうと、これは聞いて見たかった。

feb.13.2002

A Night at the Opera

マルクス・ブラザーズの1935年の映画。アメリカ(イギリス)では1970年あたりに再評価されていたようです。Genesis の1974年の「The lamb lise down on broadway」には一節にグラウチョの名前が出てきます。もちろんグラウチョ・マルクスが現役で活動していたこともありますが。もっとも一番有名なのは Queen が1975年に出したアルバムタイトルに使ったことでしょう。日本ではマルクス絡みでは話題にもなりませんでしたが次作もマルクス映画からタイトルがとられています。(このアルバムのリリース記念パーティにはグラウチョから祝電が届いている)

Queen といえば昔山下洋輔さんがあのバンドのギターは三味線奏法だと言っていました。一番はっきりしているのは「Brighton Rock」の間奏でしょうね。ただ当時はこのギター、ジミー・ヘンドリックスの引用なんて言われていたようです。ジミヘンと三味線か。もちろん三味線奏法は1960年台の後半から寺内タケシさんが弾いていました。

ところで「Girls just want to have fun」(シンディ・ローパー)のビデオクリップにアヒル踊りをするキャラクターが登場します。この人がグラウチョ・マルクスを模しているのかそれとも単にステレオをタイプに演じているのか判断つきませんでした。ありがちなキャラクターだといえばそれまでだし。それが先日久しぶりに「オペラ座の夜(マルクス・ブラザーズ)」を見ましたらビデオクリップに引用されている場面があり、ようやく結論?がでました。使われているのは、グラウチョの狭い船室密航者、ボイラーの修理、給仕など来るもの拒まずどんどん入れて、終いにドアが外れていっせいに溢れ出す場面。これがビデオクリップではシッティング・ルームに踊りながら人が流れ込んできて最後ドアが外れて溢れ出すというところで使われています。もっとも今更わかったって仕方ありませんが(^^;

jan.14.2002

Cheer Down... and  "a secret last album"

The Sunday Times Harrison recorded a secret last album
ジョージはこのアルバムを用意していた。自らの最後のアルバムをプロデュースして家族や友人にも病院で聞かせていたとのこと。

"The answer's at the end"のころから「顕微鏡でみるように」という比喩が使われてきた。過去のビートルズを巡る出来事がいつまでたっても取り沙汰されることにうんざりしていた。アンソロジーの中でも記録が残っている日だけに何かが起きてたわけではない、と言っていた。それに各人の記憶が違っていて結局ほんとのところははっきりしなかったことをあげて、たかがThe Beatlesでさえこれなんだから、歴史なんていかに当てにならないかわかるね、とも語っていた。

数週間前にニューヨークでポールにあった時はいつもどおりのキツイユーモアを聞かせていたという。別れの晩餐もすごしていたという。" All things must pass "をリマスターしたのも多分に予感があったのかもしれない。お陰、というのは変かもしれないけれど、web のタイトル、"cheer down" をもらったジョージのアルバムのリストを今年作成できた。

"when we was fab"のヴィデオではウォーラスの着ぐるみがフェンダー・ジャズ・ベースをひっくり返して弾いている。カール・へフナーでもリッケンバッカーでもなく。あのゴドレー・クレームがどうしてそんなことをと思っていたらウォーラスはポールだった。なぜか、ポールはフェンダーはいつもひっくり返して使っていた。

アンソロジーの巻頭、ポール曰くジョージは一歳半下の、といい、ジョージが ずっと半年(1942年6月と1943年2月)しか違わない、と返していた。

ジョージがアルバムを用意してくれたのなら楽しみに、するのが一番良い。

dec.2.2001

Cheer Up!

メジャーリーグのディヴィジョン・シリーズの頃から、観戦に来ているポール・マッカートニーがTVに映っていた。新しいパートナーとともに球場に姿を見せ元気に応援している。ニューヨークではチャリティ・コンサートの準備もあっただろうし。ただコンサートのあともワールドシリーズを応援に来ていた。野球好き?になったのかなと思ったのだけどたまたま映った時には欠伸をかみ殺していた。もろちんこのところポールはニューヨークにいる事が多いし別にそれでどうとういことはないのだけれど。ただニューアルバムがリリースされる時は比較的ロンドンにいるのになぁと、思っていた。

ジョージ・ハリスンの具合はあまり良くないらしい。現在ニューヨークの病院で治療受けているという。多分あまり関係ないのだろうけど、別にポールがニューヨークを離れられないというわけではない−と、思おうとしている

nov.8.2001

シュワッと弾けて

"それより窓越しに見える"。たまに聞きたくなるマザーグースの「貿易風にさらされて」。

「貿易風」という言葉がちょっと意外であるけれど、多分前年にリリースされて大ヒットした Rod Stewart の 「A Night on the Town」、スローサイド−ラストの「TradeWinds」の影響だろうなぁと思う。

シングルではコーラスも出色で(無論プロデューサーの要求に応えるスキルが合ったからですが)洒脱なポップソングに仕上がっている。

当時なぜだかシテイボーイという間抜な呼び方があってそこから実体はリゾートミュージックと思われる物をシティーミュージックと称していた。スヌーピーですら Jo Cool を気取る時にはストリート・スマートだったのにね。そんなシティ・ミュージックはつまるところちっとも都市とは関係の無い長閑なフォークソングが多かった。そんななかでこの曲は全く別の次元の粋が感じられた。

もっともマザー・グースは殊にしゃれた格好をしてもいなかったしアルバムに収録された曲はそれほどの冴えは感じなかった。ただライヴでは3本のアコースティック・ギターでポップを聴かせてくれた。一度だけのオールナイト・ニッポンではジャイアント馬場の真似が出ていた(ポウッと言うだけですが)

"Cheer Down "の当初の幻の計画「自薦100音楽」に入れる予定だった1曲。

oct.21.2001

MARX' S SMILE

音楽雑誌でQueenの特集を見るたび傑作と名高い2つのアルバム「A Night at the Opera」と「A Day at the Races」とマルクスブラザーズの映画の関係を紐解いていないか確認している。でまあ大抵触れていない。アルバムタイトルは映画のタイトルからそのまま貰っているし、「A Day〜」のお披露目パーティにはグラウチョ・マルクスから祝電が届いているのに。

ブライアン・メイが学生時代に結成してそのままQueenの母体となった SMILE とピーチボーイズの幻のアルバム「SMILE」との関係も触れられていない。バンドの方のSMILEのロゴを見ると幻のジャケットに印象的に使われている「口元」のデザインを少し変形しただけとも思えるのに。(ストーンズのべろ出しマークよりヨッポド近い)

別にペタンチックな分析を求めているわけじゃなく、あれだけ大っぴらならそれなりの背景だってある物なのに、というそれだけの事だけど

oct.15.2001

カースケーディング

このところすっかりご無沙汰。この間もaiko さんは喉の不調でお休みしたり、今度のシングルは「さよなら、小津先生」のタイトルバックになったりと動いています。「ゴーゴーナイアガラ」がリマスター再放送された−やっぱり雑音交じりで。またどういう訳かその日に長嶋監督勇退のセレモニーが行われる。マッカートニーはチャリティコンサートを行う。ニューアルバムは来月リリース。

何処へ行ってもBGMが流れている。別にその所為ではないんだろうけど、ここ5〜6年暗雑音(テレビやラジオを含めて音の無い状態)が心地よくなっている。虫や鳥の声なんていう話でもなく比較的静かな生活雑音の方が落ち着ける。P2Pの音楽配信にもまるで興味が湧かない。大体PCのスピーカーなんて普段切ってあるし(^-^;

まあまた変るんだろうけど。

oct.5.2001

予約−夏服

なんだかいつのまにかaikoとUTADAについてばかりになってしまった。そこそこ良いものは結構あるんだけど。一向に更新されないので自分の縛りで予告。夏の間にはと。

タイアップはしないでシングルの既発の曲が半分は占めるという構成でもチャートのトップに上げるのは結局地道なキャンペーンとちょっとした作戦。でもそれに見合うだけの事はあると思う。アレンジに関しては「キャプテン・アンド・ピチカート・テニール」があったりとまあいろいろあるんだけど。またショートカットにしてしまったaikoはますますストライクゾーンに入ったじゃないという人も居るけど、クニワケ君と同じ左利き同志、どちらかというと感情移入が出来てしまうというラヴ・イズ・ドラッグな世界。ともかく予告と。

jul.9.2001

歩幅

aikoと宇多田のシングルが同日リリースという「盆と正月」がやってきたようでシベ超的喜びと言うか。で、aikoの「初恋」どうよ?ちょっと肩透かし。今回もアップテンポの曲で攻めて欲しかった。たしかにミディアム・テンポの曲は手慣れているし、好く出来ているのだけど。曲想もう〜ん、ちょっと自己模倣かなぁと感じてしまう。「瞬きする間も惜しい」時が一番面白いところではあるし、苦しい心情は良く分かるし、聴きたい人も多いのだろうなとは思うけど。そうはいってもサビの部分は出色でグイグイと上げてくるところは素晴らしいし、匠な技と思う。出来ればもう少し歩幅を広げて欲しいなぁとねだっておこう。
宇多田ヒカルはかなり磨かれてきましたね、ルックスが(^^;)以前は肩のあたりからオバサン臭さが漂っていたのですが、少なくとも歌っている時は消えてきました。あるいみで自分の考えを積み上げてきていることがあのオバサン的なスタンスになっているわけですが。歌っている事に慣れてきたのかな。

feb.24.2001

誰にもいわない?

桁が違う。ラテン・フレイバーは入っています−といってもどっちかって言うとスパニッシュ系のものです−が "Can You Keep A Secret?" UTADA HIKARU は、新しい展開です。歌い方も変えてきていますし。こうやったら面白いんじゃないかというアイディアも出てくるんだろうな。
「ボヘミアンサマー」のDVDの評であまり宇多田ヒカルを知らないらしい評論家がフレディ・マーキュリーの曲を扱ったのは周りの30代スタッフが押し付けたのだろうという間抜なものがあった。読んでいる方が恥ずかしかった。デビュー時からフレディ・マーキュリーのファンであると本人が何度も言っているのに。ただ直接的に知らなくてもロックなんてカスケーディングな物であるし、フレディの歌い方は実際には多くの人に影響を与えているのだからたとえ周りのスタッフの推薦にしても歌ってみたら結構嵌まると言う場合もあるとは思うけど。ま、そんなのでも成り立っているのかもね、評論なんて。
それにしてもこの人の曲が出てくると大御所の新曲も干からびて聞こえるなぁ。

jan.9.2001

桜の木の下

桜の木の下その年のベストアルバムを選ぶ遊びがあって結構楽しんでいろいろ考えたりした。ただ高校頃だと別にその年にリリースされたものをそんなに聞いているわけではなくて、過去の名盤を聞き漁ったり、初めて知ったアーティストのアルバムを聞き込んだりするわけで、そうなると世間というか雑誌などで選ばれているものとはエラク違うものになってしまう。またいわゆる業界にもトレンドと言うのがあってこれがベストアルバム選出にも結構影響を与えているような気がした。個人の音楽観が変る事は良く分かるのだけど時代が変ったから音楽への評価が変ると言うのはなんだかみょうちきりんだ。例えば商業ロックって言い方があったけど、でもそりゃ音楽自体への評価とはちがうよなぁ、とまあ思ったわけであります。結局自分にとってその年の一番のベストってやはり一番その年に聞いたアルバム(曲)だと。

で、レコード大賞をもじってガキ大将よろしくターンテーブルを一番占拠したアルバムを自分のレコード(CD)大将と命名してきました。(別に選ばれたって当のアーティストには何の名誉でもないけど(^^;)で、今年一番占拠したのはaikoの「桜の木の下」PCCA-01415 2000

「かぶとむし」はイントロデュースに漂う空気が(特にピアノ)「ジェラス・ガイ」だったし「二人の形」は音の作りがなんとなく「クラヴィッツ/パラディ」を感じさせる。イントロは陽水の「帰れない二人」みたいだけど。このアルバムの次に出たマキシシングルの「ボーイ・フレンド」も良い出来で、タイトル曲はもちろんとても素敵な出来である事は依然書いたけど、「密かなさよならの仕方」はジェリー・フィッシュだったりするという、嬉しいもの。

aikoの詩も評価が高い。切々とした熱烈ラヴソング。過ぎたるは及ばざるが如しではないけれどオバーフローしそうな情熱はしばしばコミカル。このあたりはあのブライアン・フェリーを思い起こします。そういえば、えせボーナストラックチックの「恋愛ジャンキー」なんてタイトルは「Love is the drug (Roxy Music)」だし曲のエンディングはなんだかイーノ時代のロクーシ風だったりするというなんとも好みの作りだった。(余談ですがBEN FOLDS FIVEもアルバムの中でRoxy MusicのRE-Make/RE-Modelへのオマージュをしています)

といっても「好きなpopの面影をaikoの曲に重ねあわせている」わけではありませんよ。世には実際色々なpopで使われてきたフレイバーが感じられる曲は沢山あるのです。ただ曲に惹きつけるものが無ければ興味は持たないしましてや好きだったpopの面影を重ねたりはしないものです。

vanessa paradis Split Milk SIREN
  jellyfish ROXY MUSIC
Remark 513954-2 V2-86459  
1992 1993 1975
jan.4.2001

栄光の背番号

溌剌としたプレイを見ると、それだけでかつてその背番号付けていた選手は思い起こしてもらえる。だから受け継がれるのは良いね、と以前千葉茂さんが話されていた。千葉さんから受け継がれた背番号は空前絶後の活躍をした後長らく永久欠番となりグランドから姿を消していた。実際同じジャイアンツでも今年の仁志の緊張感のある「8」番のプレイを見ていると原や高田の姿を思い起こす。元木の「2」を見て箕田や松本、上田や広岡を思い出す人は、いないかもしれないけど。今年江藤の加入によって再び「3」がグランドに戻ってきた。流石に溌剌とまではいかないけれど。長嶋監督が誕生した時にユニフォームに付け加えたネーム部分も再び外され、かつての姿に近づくという。

そして今年もうひとつ復活した「栄光の背番号−愛称」がある。長らく「オバケ」や「キュウリ」が細細と請け負ってきた。その世界ではお馴染みであったけれど、一般的にこれだけ広がる、というより口にされるのはほんとに久しぶりのこと。多分とても馴染み易い音の気持ちの良い愛称なんだろう。ビルボードのNo1ホルダー(今の所は空前のそして絶後にはなって欲しくないけど)から受け継ぐのに相応しいゴールド・メダルの活躍をした。「上を向いて歩こう」を見事に実践したと言えるかもしれない。あとは、あとは新しい「Qちゃん音頭」でしょうか?

03.dec.2000

Beatle Yosui

井上陽水・ゴールデン・アルバムがどうも今一つだと思っていたのだが単に好きな曲が選ばれていないと言う事だった。ただこれまでにもベストは相当数組まれているので趣向を凝らしたのだろう。で、僕なりのビートルズ的な井上陽水の選曲してみた。

もともと井上陽水はビートルズ的といってもジョン・レノンの部分が多い。 You can't do that から Julia、それに怠惰な I'm only sleeping(so tired, ---watching the wheels)、面白いインタビュー。こういった要素を井上陽水は引き受けている。プロ意識の欠如した(今でも芸能、スポーツレポーター等に引き継がれている)相手(インタビュアー)の立場にたって稚拙な質問にもいろいろ気を使って親切に受け答えしなければいけないという伝統に挑戦するかのごとく真意を質しながら精確に答えようとする陽水は現場はともかく読む方としては愉快な記事を見る楽しみを与えてくれた。またフィジカルな歌唱能力が色々なタイプの曲を歌う事可能した事もある。(この辺りはサザンの桑田さんにも共通している)。たかがビートルズとは言え日本のニュー・ミュージックやJ-POP、ロックの連中でちゃんと I saw her stading there が歌える人は余りいない。もっと悲劇的なのはマッカートニー的な人たちで、 Martha my dear は歌えても I'm down も歌えるとなると松崎しげるさんくらい?かな。

1は矢野顕子の熱の入ったコーラスを聞く事のできる傑作。最後の7thの部分などカッコイイ。ただこの当時の曲、ミックスが腰高。リズムがスカスカしているためポップソングなのにフォークフレイバーになっている。3は僕にとってのベストワン。曲作り自体がビートル的。レノン・マッカートニーが30分で曲を書いたと言うから僕たちもさっと作ろうよ、と忌野・井上でササッと作った傑作。4はそれからうん十年後の続編。忌野・井上コンビの作品。「永遠のシュール」の「野蛮な再会」と同じ頃に作ったのかな?Till there was youを意識して作った5.7は今は出てないのかな?自宅録音。「McCartny」のようでいてそれほどの戦略も無かったアルバム。便所(WC)に行く時に「ちょっとワシントン・クラブへ行ってくる」なんて事を小学生は言っていた。多分そんな所からのネーミングだと思う。8.冒頭のリズム・ボックスがビートルズというよりはロクシー・ミュージックの「ダンス・アウェィ」を思い出す。9.「Thank you girl」のタイトルだけにアンサーしている。11。なんとなく I saw her standing there を思い起こす。内容は全然違うんだけど。13.こういった曲にジョン・レノン的なロックン・ロール・センスが出てくる。このタイプの曲がもっと聞きたかった。14.「窓の外ではリンゴ売り」15から17は正にレノン・センスが発揮されている。19.アンコールでカラオケをバックにマイクを持って歌っていたのだが、様になっていなかった。ギターを抱えていないとなんか落ち着かない感じ。20はなんとなくビートルズの「アンソロジー」が出て「Free as a bird」が作られた事と関連しているのかと思って。22.サザンの桑田さん曰く、それはないよ。自己模倣という気もしたのだけれど、結局聞き入ってしまう曲。23.「かぶと虫こわれた」24.「みんなみんな終ったのに」

1 Good Good Bye 1976 13 夕立 1974
2 招待状のないショー 1976 14 氷の世界 1973
3 帰れない二人 1973 15 My House 1981
4 炎熱の月明かり 1998 16 ワカンナイ 1982
5 TOKYO 1990 17 青空ひとりきり 1976
6 ありがとう 1997 18 ダンスの流行 1978
7 Tokyo Washington Club 1976 19 クレイジーラブ 1980
8 リバーサイド・ホテル 1982 20 最新伝説 1998
9 感謝知らずの女 1972 21 月が笑う 1974
10 ジェラシー 1980 22 いっそセレナーデ 1984
11 断絶 1972 23 ゼンマイじかけのかぶと虫 1974
12 かんかん照り 1972 24 おやすみ 1973
29.nov.2000

Coca Cola,He say

aikoの「ボーイ・フレンド」、歌詞に出てくるテトラ・ポッドが商品名だという事で放送禁止か?などと騒ぎになっているという。aiko自身がラジオ番組でいうにはNHKとて実際問題として何がどうということは起きてないという。最初はポニー・キャニオンと同じグループのサンスポが記事としてかなり大きく取り上げた。まあ話題作りというか別に連動はしていないだろうけど、勝手に気を遣って売り上げに貢献できるのではという程度の事だったのかもしれない。ところがその話が大きくなって放送できるだの出来ないだのというところまで膨らんだらしい。WWW上の掲示板でも"騒擾"効果で危機感を感じたファンもいたらしい。なんとも。今週の「週刊新潮」にまで取り上げられていたのは流石に笑う。あれを読んでいる人がaikoのCD買うとは思えないけど。

確かにNHKではポール・サイモンの 「KODACHROME」は曲名も放送出来ないようです。ところでタイトルに付けたのはビートルズ「Come Together」の一節。で、これも商品名だと思うけど、この曲は放送されている。

28.sep.2000

Boy Friend / aiko

軽快なメロディとしっかりした骨組み。歌いこなしもなかなか達者だし、締める所は締める。憎いほどの展開にほんとに気持ち良い曲。ポップの王道。何が難しいといってもこのジャンルが一番難しいのになかなか賞賛もされない。なぜだが知らないけど朗々と歌う「じぇい・でぃばあ」とかういうのが評判いい

きっと受け売りなんだろうけど、今のメアリー・ジェーなどのR & Bはアリサやオーティス、サムとは違うもんだと言う人がいた。面白いから面と向かってメアリー・ジェーに言ってみたら良いね。あなたのR & Bはアリサやサムとは別物だって

でもあの縦横無尽のアリサでもレイが登場すると(フィルモア・ウェスト)棒読みみたいに感じてしまうのだから、朗々と歌えるぐらいででぃばあなんて祭り上げられている連中はおめでたい?

以前、週刊誌の音楽に趣味の無いらしい編集者が「紅白歌合戦」の演者の歌唱力をクラシックのセンセェに採点してもらっていた。で、評価の高い歌手の歌がほんとに心に響かないものばかり(^^;)個人的には運針練習だと思うような人の評判がよろしかった。

気持ちがウキウキしてくるようなボップソングを作るのが一番難しいけれど、aikoは成功してる。ヒットして欲しいな

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