プロフェショナル野球のチームにはフロントというグランドとは違う組織がある。実務や営業、人事を司るらしい。人事権もフロントにはあり差配はここで行われる。となると陣容に問題があるとすればフロントの責は大きく問われる筈。にもかかわらず個別に批評されることは少ない。まあ取材する側も拒否されると困るから露骨に手を抜いているのが現状でお茶を濁しているという印象。
1996年のシーズンオフはまず讀賣は落合の解雇という方針を下劣な新聞辞令という形で出している。フロントに情勢分析や情報収集という役割もありそうなのだが、所詮本業の腰掛けで出向しているせいかもともと能力に欠けるのか熱心には行われない。というのもこのシーズン終盤、落合は珍しく家族を球場に招いていた。この年も怪我をしたこともありどうやら今シーズン限りではないかという観測を裏打ちするようなことであった。一般にも引退が近いと思われていた以上専門のフロントであるなら早めに当人の意志を確認して次の手を考えるのが普通に思われる。(実際引退後に出版された著作のなかでこのシーズンで引退するつもりであったと書かれている。)
が、どういうわけか内部でだけ話しを進め新聞辞令をだす。どうも現場-といっても本業である-を把握していなかったらしい。西武からFAで清原が来ると言うことから落合は不用と考えたらしい。
ここで当時の落合と清原の成績を眺めてみる。年齢差14を感じさせない、というよりも清原にはなぜか終末の雰囲気すら漂う。また守備に関しても一塁以外は守らないと言明していた。かつての讀賣の高田、広島の衣笠といったコンパートの成功者はさておき、ヤンキースにいった松井が常に三塁へのコンパートを希望していたこととは随分と違う。リーグを移った場合打率は落ちるということを考えてもこの差し引きは勘定が合わない。といっても清原個人については問題としない(リーグを移った割には打率も落ちていない)。
敢えていうなら清原が余程くじ運に恵まれ最初から讀賣に入団していたら、と考えても果たして摂生したかどうかはわからない。プレッシャーで不振に陥ったことも考えられる。加えて当時の西武の現場、森-黒江というスタッフが讀賣の現場と比べて大きく甘かったとは思えない。讀賣の方がより厳しい世間の目、マスコミの目は確かにあったとは思うがそれがいい結果をもたらすとも限らない。
落合博満 1953 | 清原和博 1967 | |||||||||
% | HR | HIT | RBI | % | HR | HIT | RBI | |||
1993 | 285 | 17 | 113 | 65 | 中 | 268 | 25 | 120 | 75 | 西 |
1994 | 280 | 15 | 125 | 68 | 讀 | 279 | 26 | 127 | 93 | 西 |
1995 | 311 | 17 | 124 | 65 | 讀 | 245 | 25 | 99 | 64 | 西 |
1996 | 301 | 21 | 113 | 86 | 讀 | 257 | 31 | 125 | 84 | 西 |
1997 | 262 | 3 | 104 | 43 | 日 | 249 | 32 | 115 | 95 | 讀 |
この二人を比べた場合、目立つのは本塁打の割には打点が変わらないところ。落合は本塁打を棄て(飛距離がおちたこともある)チームバッティングをしていたこともある。なんでも「オレ流」という言葉に押しこめて現実的な新しい方法論を否定する傾向の強い旧態依然のマスコミの所為もあってチーム自体に及ぼしたプラスの影響はスポイルされている。投手の斎藤の成績を見るとそのあたりの成果を確認できる。しかしなんといっても落合の加入していた3年で2度のリーグ制覇、退団後3年間優勝から遠ざかったという結果は明確にそのあたりを反映している。
落合がフロントにとって忌避すべき相手だったのはたんに契約交渉が思い通りにいかないというそれだけの理由らしい。それではフロントは何をするためにあるのかが判りにくい。