今月の注目盤や特選盤のコーナーやページを飾ろうというアルバムだった。にもかかわらずあまり評価は高くなかった。なんといっても期待の高さが半端ではなかった。また画期的音楽を期待されていたのである。
レノン・マッカートニーに押さえつけらていた鬱憤を晴らすように曲作りにも力を注いできた。ビートルズの後期や前作では大きな成果があった。が、この頃から曲が少なくなる。"My sweat Lord"の盗作騒動が心理的にも影響したこともあるのだろうか
前作でもまたジョンの"imagine"でもジョージはスライドギターを多用していて、別に難しくはないけれどカッコイイ音を出している。
このギタートーンが日本では1970年代半ばから後半のニューミージックにはかなり大きな影響を与えている。普通マニアックなギタリストならば王道ビートルズ的なサウンドはは避けるところ。ただ一部でフィル・スペクターのサウンドを分析する人たちがいたのだが、たまたま、この頃一番新しいスペクター・サウンドがジョージのアルバム(若しくは演奏)だった。たまたま多分鈴木茂さんはそんな渦中にありトーンも含めてジョージの音をかなり研究したように思う。(1990年代後半音楽でも70年代風の音作りがされていて再びこの頃のジョージのトーンが復活したのは面白かった。)なんとなく日本のジョージ・ハリスンなんていう呼ばれ方をするのだが、ファンキーなサウンドからMORなサウンドに変って行く所まで変に符合しているのは面白い。
見開きのジャケット、レーベルもふくめて豪華な作り。ビートルズデビュー10周年キャンペーンもあり日本盤には詳細な年表が付いている。タイトル曲にリッチーやジョン、ポールが織り込まれていた。
ツアーに出る為のアルバムである。ラヴィ・シャンカールを前座にトム・スコットとLA Expressやビリー・プレストンをバックに従えてカナダ、アメリカツアー。チケットは即売。ツアーへの期待の高さが分かる。雑誌のカバーは飾るし、インタビュー記事は当然掲載される。注目アルバムのコーナーなどでレコード評も書かれている。
しかしアルバムのレコーディング中から声は嗄れ、しわがれた歌を録音し、そのままツアーに入る。ビートルズの曲はやりたくないというジョージに観客が聴きたい曲を演奏した方が良いと思うとラヴィ・シャンカールはアドバイスしている。またあまり歓迎されていない空気を察して予定より前座の時間を短縮している。このあたりラヴィ・シャンカールの方がコスモポリタンであるし、演奏家としてのキャリアの豊富さも物語っている。"In my life" や "For you blue" のアレンジを変えてみたり、このあたりにまだビートルズに対する屈折した思いを感じる。バングラデッシュのコンサートの演奏曲に新しいナンバーを数曲加える−といった事をしないのもジョージらしいけれど
ロン・ウッドと共演した"Far East Man"やアルビィン・リーの提供した"So Sad"は佳曲。一番良いのはトム・スコットのサックスもカッコイイ、コンサートのインストルメンタルのオープニングナンバーの"Hari's on Tour"。しかしまあ全体的にガッカリ。"it is he" や "maya love"あたりはこんな埋め草みたいな曲じゃ神様だって嬉しくないと思ってしまう。
"Ding Dong" ではプロモ・フィルムも作られる。モンティ・パイソン的、といってしまうのは簡単だけど、こういうシニカルなユーモアはいつも優れたものを残している。このフィルムの中で歌いながら衣装が変って行くシーンがあります。ペーバーズの衣装や裸にギターだけとか。(これがずうーーーと後の"When we was fab" で繋がる。)
ともかくツアーは散々の評価で、結局これ以降ツアーらしいツアーは1991年まで行われない。
この年マッカートニーは"Band on the Run"で遂にシーンの前線へと復帰。ツアーもいよいよ本格化している
オイルショックと紙不足(ほんとだったのかな?)で軒並みシングルジャケットになるなかまだダブルジャケット、内袋には手書きのレコーディングクレジット、歌詞カード付き。
ツアーは不評でアルバムもセールス的にはいまいちだった。体も壊しているのに素早いリリース。前作に比べるとかなり聴けるアルバム。フィル・スペクターとの共同作業をなぞったような"YOU" 、続篇"This Guitar" というサービス的な要素にスモーキー・ロビンソンに捧げるソフトなラヴ・ソングもある。日本では"YOU"がかなりのヒットになっていた。
"Can't stop thinking about you"も聞かせる曲だし、"The Answer's at the end"もストリングスのアレンジなども良い。またこの曲から"顕微鏡であら捜し"というフレーズが登場する(以降顕微鏡フレーズはいろいろなバリエーションで使われる)。しかしなんだかんだいっても最後は一発"Long Tall Sally"で決めてやるといった技が無い為アルバム全体ではMORな感じになってくる。かといって飛び切りのメロディも無いし、歌の表現力もバツグンと言うわけでない。
ジョージらしいのはジャケットにちょっとした事が書いてあってこれが結構面白い。このアルバムでは参加して"いない"メンバーについて書かれていて、例えばデレク・テイラー、ピーター・セラーズとかね。そのなかでエリック・アイドルという名前もある。この時点でこれは一体誰?だった。エリック・クラプトンの変名なのでは、なんてことも言われたのである。フライング・サーカスが日本で放映されるまではまだ時間がある。
ダーク・ホース・レーベルは2年前にたち上げたが、自らのソロアルバムはまだアップルの契約に拘束されていた。A & Mとのダーク・ホースレーベルの配給契約時にソロ・ニューアルバムを、7月25日(アップルとの契約が切れてから半年後)迄にはリリースする事との取り決めたらしい。
LPの回転数にかけたタイトルからして2/25生まれのジョージは6/25にはリリースするつもりだったと思う。ジャケットもアメリカ独立200年の記念のサングラスをしているジョージの写真があり、少なくとも200年記念イベントのある7月4日には店頭を飾っているという趣向であったのだろう。しかし残念ながら間に合わず−2ヶ月遅れでマスターが完成。これがA & Mとの間で軋轢が生じ、訴訟を起こされた。ダーク・ホースのアーティストのアルバムがそれほどのヒットを生み出していなかった事もあったのでしょう。
トラブルはあったものの、ジャケットの印象も含めて明るい感じであった。ただ、時代はいよいよパンクが席捲し始める。
アルバムの方は比較的バラエティに富み、"True Love" のカバーもあるし、マイ・スィート・ロードの訴訟を歌った軽快なナンバー"This Song"もあり前作よりはクリアで楽しめるアルバム。髭も剃り、若々しい−といってもまだ33歳だった−。プロモーション・フィルムも乳母車から登場する"Crackerbox Palace"、ポートの上で熱唱しているトルー・ラブ、手錠を掛けられて(これが後の"When we was Fab"のクリップに繋がる)法廷に曳かれてくる"This Song"とすべてコミカルな演出(もくしはモンティ・パイソンな仕上がり)。こういったユーモアが結局はジョージの一番の味だなぁと思う。