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目印

ご配慮

筋の通らない話。妙だなと思うのは多くの人の目に触れる場所からは撤去せずに、一番目に触れるところはそのままにどうもあんまり見てないんじゃないかと思える場所のことばかり問題にする。根本的に反対とかデザインが気に入らないから変えたいとかはっきりとした主張があるわけではない。なんだか知らないけど他人への配慮というのが主な理由らしい。なんか変だね。

と言うことで「日の丸」の話。もともとこの旗の意味は「中国大陸からみて日の出国」ということ。日が昇る国とは景気がいいと大層気に入って交易に使う船の目印にしたのが始まり。簡単で目立つ。別に理念が有るわけではないし。国旗という概念も有ったわけではないしあくまで目印として使っていた。これを米欧の理念-というか建国する際のシンボリックな目印-に合わせるために使用した。

考えてみれば明治という紀元はある種の革命なんだからここで新規な旗を作っても良かったとは思うのだが。まあそれまで「国旗」という概念だって無かったんだからとりあえず今まで使っていてなおかつ継続性を武器にともかく歴史は有るんだぞと気張ってみたかったという事なんだろうな。

ある意味で中国有ってのこの国という意味は有るかもしれないが-だって日はどんな国でも昇りますから-我侭の数の星と不吉な数のストライプというような意味すらない。

オリンピックもそうなのだかより激しいのが「日の丸」丸出しの「アジア大会」。どう考えてもあそこで日の丸を使うことは明らかにアジアの人々の目に触れる。ご配慮などと言うならああいう場所でこそ使うべきではない。(もっともあの大会、過去が有ろうが無かろうが限られた国の旗には掲揚が多すぎてうんざりさせられている人がたくさん居るでしょうけど。)また船舶や航空機にも使うべきではない。だって直接目に入るじゃないか。

そういう物もう50年もほっといてなにを今更という気がする。1956年にも1960年にも1970年にもこれと言う提案も無ければ新しい運動すらなかった。それを今更議論することなんてあるんだろうか?

にも関わらず問題にするのは小中学校の卒業式だの公共施設での会合だの。こんなもの妙な報道が無ければ目にすることも無いはずである。

そうそう戦前から続く煽るだけ煽っておいて、でもとりあえずは言論の弾圧が有りましたっていっている新聞屋さんもあの帝国海軍4分の1という旗。従軍記者があの旗もっていろんな国に行っていたんじゃないのかな?あの旗見ると嫌悪感が有るって言うアジアの人も居ると思うけど、配慮しないのかな?

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