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jun 19 - marzo 24 /2000
磨き上げた勘6.19
I can't stand it! 6.05
Swan Song5.31
セ界の差別5.15
Everybady has the home page4.24
ゲーム4.18
無意識4.12
規範4.06
経験者3.24

磨き上げた勘

オリンピックを見ながら、なんでこんな選手が出ているんだろう、と思う事も無くはない。ほんとに参加する事に意義があるだけって気になるから。もっともなんの権利があって、誰でもメダルを狙えと言いながら見ているんだか解らないけど。競技を下手ながらやっているとか、常日頃関心を持っているとか−試合がある、なんてことを誰構わず言っているだけでも結構な貢献になる競技もある−ならまだしもただオリンピックの時にだけファンになっているのは流石に場当たりすぎて我に返って恥ずかしくなってくる。

その点、水泳や陸上はまあ大抵の人は経験がある。傍目八目もまた多い。で、水泳の選考で揉めたことはあっただろうか?結構大盤振る舞いで女子の世界記録より遅い男子も泳いでいるなんて事すらあったよね。また風紀というか思考もとても柔軟でいち早くヒーリングを取り入れてメキシコの高地で皆で仲良く和を大切にしてマリファナ吸ってリラックスするなんてこともあった。

選考委員は自らのセンスに自信が無いのだろうか?60年なり70年なり生きてきてその結果、スポーツはその成績よりむしろ和を大切にして事勿れ主義で、なおかつ大会役員に良い思いをさせてくれれば良いのだ!という結論に達したのなら胸を張って主張すれば良い。なんだそんなもんかと思われたって良いじゃないか。長い時間をかけて導きだした結果なら何を恥ずる事があるだろう?そうじゃなく、みずからのセンスと勘で、自分達が選択したと言うのなら、その過程は丹念にじっくりと語る必要があるのじゃないか?きちんと意を尽くして説明する義務はあるのじゃないかな。

いい年してまわりの記者に「何某とつきあっているらしい」なんて下卑たことをあのデカイ図体で言うよりね

まあ、でも今回の騒動、前回のオリンピック後のマスコミによる「千葉すず叩き」を読み違えているという気もするけど。

junio.19.2000

I can't stand it!

グッドバイ・ミスター・シュルツ

どうして、ジョー・クールやソピーズ・キャメルや地下室にあるビリヤード台のことを抜きにスヌーピーの思い出を語れるのだろう。なんだかベンチに放置したサイダーみたいな話ばかり。ありきたりのヒーリング絡みの分析もどきの感想には全くGood Grief!。チャーリーの哀愁の話ばかりをしている連中の正にBlookheadにはI can't stand it!

「サパータイム!」の声に踊らなくなくなった頃のスヌーピーが正に円熟期。男の子の夢をなりきりって演じていた。モテモテのジョークールにソッピーズ・キャメルを繰りレッドバロン相手に撃墜王をなりきる。ウィンブルドンではオフ・サイドに抗議する。地下室にはヴァン・ゴッホをはじめとする名画のコレクションを抱え、週末にはビリヤード大会を開く。ヴァレンタインにはモちぎれないほどのカードを貰うけど、あの子やいつかの子からは来ていないと言っては嘆く。イースターにはイースタードッグになって踊りながらイースターエッグを配る。ルート・ビヤを煽りながらハードボイルドにきめる。鷲にまでなって獲物を狙ってみせる。「例の頭の丸い子」の気も知らず勝手に探検に出かける。ウッド・ストックと犬小屋の上から品の無い「猫ジョーク」で隣の大猫をネタにイジワルに笑い合う。

70年代から80年代半ばのスヌーピーは想像力たくましく自由に飛んでいた。それは多分シュルツ氏の想像力と−少年の頃と変らない夢−が描かれていた。最高の人気者にして狂言回し。ただ80年代後半以降スヌーピーは段々と普通の犬へと戻って行く。かつてのビックリ箱だったドッグハウスも単なるケンネルへと戻って行く。

出鱈目な編集のツル・コミックから、いつのまにかウェッブでその日のコミック・ストリップが読めるようになっていった。引退を宣言してその四日後にシュルツ氏は天へと帰っていった。最後の最後まで描かれていた。

「献花はD-DAYに」とのこと。6月6日にちょっと献花代わりの思い出を

junio.5.2000

Swan Song

今なら多くの人がCDだからといって必ずしも音が良いとは限らないことは知っている。 70年代や80年代の音源を只CDにしても痩せた音になることはしばしば。にもかかわらず80年代も中頃にはCDの音は素晴らしいということになっていた。かなり立派なシステムを構成しているオーディオ評論家という方々も新技術か好きなのか、生活の為か手放しの誉め様でありました。中にはアナログが良いという人もあるのですが、大抵はデジタル・アレルギーというかアナログ・プレイヤーの儀式的なやり方が好きというかノスタルジーが好きというか暖かいとか冷たいなんて事で感傷的なレベルというか。

同じ頃山下達郎はアルバム「ポケット・ミュージック」のレコーディングで辛酸の日々を送っていた。デジタル機器のレベルは低く数年前にアナログ録音しているアルバムの域にも達しないような状態に悪戦苦闘している。

S/N(雑音の交じり具合)比はデジタルにすれば圧倒的に高くなる。より明瞭に聞こえているにもかかわらず音楽は足りないものがある。

自分の耳より常識で音楽を聴いている人たちは素晴らしいスペック(数値)のCDの音を賞賛していた。

その中で長岡鉄男という人はCDの音はまだアナログの音に追いついていないと言うことをはっきりと書いていた。

彼がメインに据えているバック・ロード・ホーンをその姿からオーディオとしては論外という人も多かった。常識という−その実浮き草のような認識に囚われる人が多いことの証かもしれない。例えばエビやカニは美味として涎を流せんばかりの人も昆虫やコウモリの料理は悪食として嫌悪する。しかしカニやエビだって相当に奇天烈な形をしているのである。只ただ慣れているに過ぎない。

長岡さんの生み出した数々自作スピーカーの中で一番の傑作といえばスワンということになると思う。白鳥から姿からヒントを得たスピーカーは見たこともない、そして正に聞いたことも無かった音を再現してみせた。

枯れることもなくあくまでも生臭く、盲信したがる自称信者達にはすべてを疑えと言い続けた。

去られて、改めて自分の中の占めていて大きさに気付く

衷心より長岡鉄男さんのご冥福をお祈りします

mayo.31.2000

セ界の差別

それにしても、とガルベスは後悔しているだろう。こんなことなら。そう闇雲にボールなんて投げないで、直接審判を暴力を振るっていれば良かった。思いっきり殴り倒して骨折させておけば良かったのだ。高々出場停止10試合である。罰金も100万円。しかも傷害罪で逮捕もされない。ボールを投げて、(しかも当たらず、)シーズン後半を棒にふるなんて事はなかった。

ドラゴンズ記者会見で大西という選手は社会人として恥ずかしいと言っていたがその前に野球選手として問題なんじゃないのか?条件反射として抗議するわけではなく自分勝手に横から蹴りを入れているのだ。この人に野球やる資格あるだろうか?

星野という監督も解らない。以前、ジャイアンツよりの判定ばかりしてやりきれないと審判に抗議していた。しかしその次には少なくともジャイアンツ贔屓の判定をしていないアメリカからやってきたデミロ審判に猛烈に抗議してなおかつ取り囲み暴力沙汰を起こしている。

ガルベスの事件のときには永久追放なんて後先考えずにいっていた連中は今回は全く音無しである。やだね、全く。

Formula-1でホンダやアイルトン・セナが受けたのもこの手の差別である。オリンピックで日本がバレー・ボールで優勝した翌日にルール改正されワンタッチがカウントされなくなったことも思い出される。スキーのジャンプ競技で日本の活躍の後には必ずルールが改正される。

こんなものなのかね

mayo.15.2000

Everybady has the home page

「バスター」ってスカシタ野郎って意味なのか?と聞かれたのですが、まあそんなところでしょうか?「シャラクサイ」なんて感じもするのですが。まあどっちに転んでもあの野球で使っている意味にはなりません。それにしても未だにあの作戦をバスターって言うのは何とかならないでしょうかね。バンドのふりをしてヒットするのはフェィク。あのフェィク・ファーのフェィク。見せ掛け。ただ北米の野球視察に行っていた人がたまたまその時フェイクの場面を見た。でこれは何だ?って作戦名を聞いたつもりが、聞かれた方はそれには構わずともかくフェィクなんてした相手選手を「舐めた真似しやがって」「シャラクセー」と罵倒していたわけです。これを聞いて「あぁ、そうかバスターって言うんだ、あの作戦」と正にカンガルーみたいな話であります。

「ホーム・ページってどうしてホームなの」というのもありますね。World Wide Web上のリソースの総称としてホーム・ページという言葉を使っちゃうからこうなるんですけど。ブラウザを立ちあげた時に最初に表示させるページがホームページ。若しくはWebのindex。アット・ホームやホーム・パーティやホーム・ベースと同じホーム。概念も同じでしょう。にも関わらずWebの自体をホームページなんて呼んでいるとほんとは知っている2つの言葉が無駄になってしまって新たに役に立たない言葉を覚えないといけない。

モバイルって言うのも困った言葉ですね。これはまあ意味はあっているけど、発音が古臭いような。古典を扱う辞書には出ていますが最近の辞書(OADとか)にはモービルしか出てませんね。PC Newsのような番組でもモービルって言ってますから。オート・モービルくらいだったら中学のときに習っていて知っていて、なんとなく推測できるのに。日本国内でしか役に立たないモバイルなんてワザワザ覚えるのは無駄じゃない?

abril.24.2000

ゲーム

何の気なしにテレビを点けて、野球がやっていたとしてそのまま見続けるだろうか。特にすることもなくて(だから目的もなくテレビを点けたわけだから)とりあえず見ていても支障がないとして。どうもすぐに飽きそうですね。贔屓のチームがやっているわけはないし。草野球なんかだとつい見ちゃうと言うことはあるんですが。こういうことを考えるのもこないだのメジャー・リーグのゲーム見ていて途中で飽きちゃったと言うことがあるんです。良いプレーを見ていれば集中できるかというかそうでもない。まあ確かにあのゲーム自体がかなり間延びしたものであったしフォア・ボールが連発されていたということもありましたけどね。どうも野球には背景や選手個々に対する思いれというか情報によって補完しながら楽しんでいると言う面があるみたいです。ドラマが無いと野球と言うゲーム自体を楽しむことは出来てないなぁと思いました。

ところがこれがフット・ボールやテニスだと個々のプレーに直集中できる。こりゃまた巧いとか見えてくる。Jリーグなんて全く見てないんだけど、むしろ海外のチームのゲームの方が楽しめる。背景だの個人の選手の事情だのは全く知らないけどプレー自体が面白い。あんなこと出来るんだと感心しながらついついおわりまで見てしまうこと幾多。そのあとその選手についての情報を得て改めて納得すると言うこともある。流石にテニスはトッププレーヤーの数が限られるのでまあ名前くらいは知っていると言うケースが多いけれど。

abril.18.2000

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無意識

隠していてもひょんな時に姿をあらわす感情というのはありますね。フランスなんかに憧れて自分は平等主義で先進国の人間とも対等だなんて意識を持っている。にもかかわらずたまにいつもは隠している自然の感情が表に出てしまう。僕はフランスの平等主義なんてインチキな物だと思っているけど、あの大陸には大陸の事情があってそれなりに機能しているのかもしれない。

平時に取り締まるものは取り締まる。騒擾状態になってから取り締まろうというのは随分無茶な話だ。地震で身分証明書やパスボートが下敷きになっているかもしれないときに大々的に取り締まる。こういう発想は僕の嫌いなフランス人なら不法も合法も十把ひとからげに、つまり白人を除く外人をまとめて面倒みてやろうという意味にとるでしょうね。

「移民を受け入れる」なんて言うけどそんなの出来ない相談。排他的な島国根性の固まりであるということをちゃんと認識しなければ。「難民」ひとつとってまともに受け入れたいなんて思っちゃいないんだから。国連の安全保障理事国になりたいと言っても未だに政治難民一ついろいろ難癖付けて受け入れないんだからちゃんと己を知らないといけない。

abril.12.2000

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規範

随分前の、ちょうど中学生の春休みの頃当時住んでいた舎宅の敷地から墓石のカケラのようなものが出てきた。川が氾濫したときに流されたものらしく細かいものはかなり色々な所にあったらしい。ともかくカケラを見る限りは幼児のものらしい。といってこれまでここにあったものをどこかにもっていくのもへんだし、どうしようもないのでそのまま埋めておくしかなかったのだが。ところがこの日を境に深夜になると何処からともなく子供の泣き声が聞こえてくる。いや、もうそこまで迫ってくるのだ。とりあえずまずは線香でもと地面にそのまま線香をたてて見たりする。がこれも大して効果はないらしい。殆ど窓の側まで来ているという状態が2日ほど続き、流石に寝不足の為に一応話し合いを持ってお互いが満足出来る方向で解決しようと意を決した。で、その日も深夜、幼い煩悩と向かい合おうと窓を開けるとそこには茶トラの猫が求愛の声華々しくあげていました。

なんでそれまで猫の求愛の声を知らなかったのかは集合住宅に住んでいた為なのか単に早寝だったのかは思い出せないけど。まあ、ともかく人騒がせな声ではあるけど、あれはもうDNAに刻まれた本能のなせる技なんでしょうね。ウシガエルの五月蝿い鳴き声もまた求愛のシステム。昆虫にも決まった方法があるんですね。セミも確かそうです。まあ昆虫も両生類も脊椎動物も夫々求愛の方法がある。この方法で合格すると生殖行為に入る。これは絶対なんですね。なんにも考えずに無理矢理しようなんて事は考えない。そこいくと人間は自由だ。それにしても法律がなければ強姦するという人がいたけどあれはどういう事なのかね。自分の中には全く金輪際1ミリも倫理も無ければ美意識も方法論もありませんということなんだよなぁ。昆虫すら持っているものをなんら自己の中には作らないでもっぱら社会的な強制力を持った規範にのみ頼っているんだから。でなぜがこういう人の仲良しは必ず社会が乱れているんなんて言うんだよなぁ。まず仲良しを指導して欲しいけど。

abril.6.2000

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経験者

スポーツ選手は毀誉褒貶が激しい。行動に問題があるとか成績が乱高下しているという気はしない。扱う側の精神に問題があるんじゃないかと思えることがある。確かに素晴らしい成果に対する賞賛は尽きないし、称揚することは気持ちもいい。がなんだかあまりに持ち上げすぎていると感じることはないだろうか。スポーツの結果が周りのことに波及して何から何まで優れているという話になってくる。といってこういう事自体はそれほど罪はないとは思う。しかし必ず引き摺り下ろしがやってくると思うと気が重い。スポーツの結果だけを賞揚の対象にしていない為にバッシングが始まるすべてに対して嫉妬絡みと思える否定形が現れる。うんざりするほど。こういう事の方が青少年に対するマイナスの影響が多くない?

ジャーナリズムの側にはなんだってスポーツ選手に対する嫉妬があるのか。しばしは体育会系のジャーナリズムには嫉妬が生まれるようだ。スポーツでは負けたが今度は俺達の方が上だという嫉妬。「長崎の仇を将棋で返す」というような捻じ曲がった陰湿さを感じがするがどうもそういう物があるようだ。

現在ジャイアンツで不振をかこっている清原選手がライオンズに入団した頃の話。日経新聞のスポーツ記者が数名で談話していた。いわく態度が偉そうだ。横柄だ。挙げ句の果てに、清原選手は勘違いしないで欲しい。別に君が偉大な人間と言うわけではないんだ。なんてイイ年(20代後半から30代)の記者が話していた。しかし18歳の人間を捕まえて何を理解しろと言うんだろう。それこそ一挙一動を見る為に金魚の糞のこどく何処までも付いて行き、取り囲む。一体を何を見ているのかわからない報道の体制。もちろん記者としては

  1. 俺達は好きで高卒のおまえの取材をしているわけではない
  2. しかしデスクの命令で此処に着ている
  3. お前ごときを取材するのに意味なんて大してないと思っている
  4. しかし他社も遣っているのでうちだけ遣らないわけには行かない
  5. ともかく日本では他人と違うことを遣っては行けない
  6. しかし超一流大学卒の俺様は横並びの弊害くらいは知っている
  7. たかが毬投げぐらいで高い金貰いやがって
  8. 俺様がこんなに取り囲んでやっているんだから少しは嬉しそうな顔をしろ
  9. ついでになんか気の利いたことを俺様だけに話してみろ

なんて事を・・・

所で経験者というのはどの程度信頼できるんだろう?ここで急に音楽の話になってしまうんだけど、かつてちょっとバンドやったとかセミプロでやっていた経験からなんて立場の分析があったりするんだけど、これって参考になります?いやーあくまで個人的な見解なんですが全く参考にならないと思っています。とあるプロの、それもキャリアからいっても実績からいっても文句の無い人の意見をあんまりあてになんないなぁと思ったことがあります。が、この人のキャリアが当てにならないとすると殆どの人のキャリアなんて意味ないじゃん、ということになってきます。どう思います?リンゴ・スターのキャリア。

marzo.24.2000

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