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晴交雨獨

スタイル

WWWの日本語は読みにくい?

引用でもないのにblockquateを使ったり、htmlは論理的マークアップと云われたって色々工夫する。裏技と称してtipsが公開されていたりする。別に日本に限らずアメリカだってイギリスだってかなり目茶苦茶なマークアップがされている。別に見られれば良いじゃない?

Netscapeが用意した最初のスタイル設定(基本的にはMosaicを継承しているけれど、あれは一応自分でのスタイル設定が可能だった)は英語圏(西洋圏)の文字で書かれた文章−論文−を支障なく読めるように作られている。まあ設定する段階で一番良く読む文章をモデルに選ぶのは当然でしょうね。

見出し段階によって大きさを変えてそのちょうど良いくらいの本文の文字のサイズを決めている。特に何もしなくても疲れずに読めるように

という事は日本語を含めて非西洋圏の文字は考えられていない。(日本文字が支障なく表示できるブラウザも1994年まではなかった。)なにが一番の違いかといえば英文では、すべて大文字で表記するような文章は希だと言う事です。文字自体の構造も簡単。文字が小さくても判別が可能。但し単語1語はかなり長い場合も多い。行間の設定も小文字が全体的に占める割合が多いのであまり広げない方が間延びせずに読みやすい。別に裏技を使わなくたってね

一方日本語はすべて大文字クラスの英字二文字分の全角。これがぎっしり左右を占め、行間も殆ど無い。ディスプレイ一杯に広がったりするとめまいがしそうである。だから長い文章は細長くしたい。両側にマージンの取れるブロッククオートを使ったり、テーブルを使ったり。若しくは文章を短く読点2個ぐらいで改行を繰り返し、行間を空ける事により対処する。この工夫は非難されるいわれはないですよね。読み上げ機能を阻害するなんて非難もあるけど、割合からいってまず読む人の方が圧倒的に多いのに読みにくいんじゃ話にならない。もしかすると正しいマークアップをしているのに読みにくいなんて言うのは精神がたるんでいるからだ、って意見が出てくる可能性はあるけど−昔乍らのね。

でも、結局の所小手先の工夫で、とりあえずは苦労しながら場当たりな対処はしているけど本質的には読みやすくはなっていない。スタイルシートの行高(line-height)を使えばかなり改善できる。が、何故か古いブラウザとの互換性やらを持ち出して、全く使う気の無い人が多い。たしかに互換性はある程度は大切だけどねぇ。ある意味マゾ的な感じで悪環境のなかで自分の裏技とやらによがっている感じがする。屋上屋が好きなのかもしれない。

そんな馬鹿なと思うかもしれないけど、快適にスムーズに効率よくなんて言うのは実は嫌いな人が多い。周りを良く見てみると、効率よく快適に運用されているものなんて実に少ないんだから。

ローマ字入力

もはや論議もされなくなったけど、キーボード。何も早く打つ必要も無いんだから、つまり考えながら打つんだから少々遅くたってイイダロ!というのがローマ字入力推進派の意見だった。中にはメタルカラーのオジサンのように事実を歪曲して親指シフトだと英字入力が出来なくなるという出鱈目を言う人もいた。

もともとあんまり早く打つとハンマーが絡まってしまうというタイプライターの入力事情から決められたキー配置。それでも頻度については多少は考慮されている。もっと効率の良いキー配置も出されたものの結局もともとのキーがそのまま残った。実際その時点で一番使っているタイピストたちが変更はなかなかしないだろうし。この配置を覚えておけばワードプロセッサーもタイプライターも打てるというメリットはある。(現実問題としてはかなり難しい。タイプライターはともかく技が必要で生半可なことではシフトキーは持ち上がらず、力加減も−もの凄く!−上手くやらないと「I」はくっきり、「Q」や「P」は薄いなんて斑の文書が出来てしまう。)

所で日本語のローマ字にはこんな事は全く関係ない。入力のスピードなんて全く考慮されていないし、入力し易さなんて考えられてもいない。タイプライターでは考えられた頻度も日本語に付いては全く考えられていない。でもみんな苦労してタイピング練習して覚えている。快適な環境の方は措いといて対症療法だけをやっている。

親指シフトに否定的だった人たちはそのうちモット効率的で良い仕組が出来るよなんて、ナァンニモしないで口先だけで言っていた。多分今でもなぁんにもしてないだろうな。新しいキーボードの事も考えていないだろう。

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