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晴交雨獨

センパン

プロ野球も終盤?こういう頃に新聞は「ジャイアンツの独走を許したセンパンは誰だ!」なんて記事が書かれる。それに今年はオリンピックもあるのでメダルを逃したセンパンは誰だ、などというのもあるかもしれない。しかしたかがスポーツの雌雄にセンパン−センソウハンザイニンなんて言葉を使うのは穏当ではない。

使い方は正しいの?

センソウハンザイニンという言葉は「勝てば官軍」の立場からの呼称である。 いや、勝利ゆえに敗者を一方的に裁くことが次なる復讐の胞子になる為、体裁だけでも裁判の形を取り、連鎖を防ぎたいという所から生まれたといっても良いかもしれない。それゆえニュールンベルグも東京も過去に遡及するという妙な形で行われている。いや別にここで東京裁判の是非を語ろうというのではない。「裁判」という形はともかく敗戦すれば勝者から何らかの処分は下る事当然の成り行きである。特にA級の方々は無事ではすまない事ぐらいは−自ら相手を鬼畜と公言してきたのだし−解っていたはずである。

しかしセンパンは敗戦責任者ではない。確かにA級に処せられた者は国家の中枢にあったから重なる部分はある。だがB、C級は敗戦責任と直接関係はない。簡単に言えはセンパンを裁く側に重大なる戦果(戦禍)を与えたものほど処罰の対象にするといってもいい。勝利軍に対して重大な損失を与えるような行為をしたものがセンパンとなる可能性が高い。逆に言えば戦闘意欲に欠けているとか作戦遂行に失敗するとか役に立たない作戦を企て敗戦に寄与?したものは戦争裁判では処分の対象にはなりにくい。

ところが今のメディアで語られるセンパンは敗戦責任と同義としてつかっているとしか思えないのである。

誤魔化し?

なぜセンパンなんて言うのだろう?実際日本では先の敗戦の責任は問わずに来ている。行為者はもとより散々煽ったメディアも敗戦と同時に敗戦責任を問うている場合ではない、皆が悪かったなどといううやむや路線に逃げ込んでいる。

どう考えてもスポーツ報道にセンソウハンザイニンなんて言葉を用いるのは不穏当であると思う。それを好き好んで使うのはなんだか敗戦責任をすべてセンソウハンザイニンに追っ被せてしまおういう深遠謀慮でもあるんではないかと−勘ぐってしまいませんか?

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