晴交雨獨 No.17 | prev | next |

日本マンガ週間

東洲斎

大英博物館、ギメ東洋美術館、ブルックリン美術館、アムステルダム王立美術館、シカゴ美術館、ハバード大学美術館、メトロポリタン美術館。ある展覧会の図版の冒頭から抜き出してみた。なかなかどうして日本の美術館の名前が出てこない。20番目に財団法人日本浮世絵博物館が出てくる。1995年に開かれた「大写楽展」の図版である。

もともと歌舞伎役者という大衆文化を素材にしている上、女子供向けの複写物であり、ありがたい西洋の絵画の足元にも及ばない安っぽい版画など唾棄すべき対象だったに違いない。簡易な包装紙にも使われていた浮世絵などに値がつくならとあらかた売り払ってしまう。まあ明治維新はともかく乱暴であったので、茶器や器関係も目方売りした時代です。

その後、写楽はジュリウス・クルトの再評価により一挙に日本を代表する絵画文化へと地位が向上する。そうなるとまたどうしてあの当時の人たちはあんな素晴らしい日本文化を二束三文で売り払ったのだということなってくる。まったく文化を見る目がなかったんだからと

といっても別に日本人が改めて心底感銘を受けたわけではなくて、あくまで西洋人がそんなに良いと言うなら良いんでしょうということですが。

ところで今、欧米のみならず中東でも日本といえばもはやフジヤマでもなければゲイシャでもなく、アニメでありコミックでありマンガ。自称文化人(反対語は野蛮人か?)、やコメンテーター(以下文明開化人)の皆様がこの手の意見にあんな下品なマンガごときが代表的文化などとはまったく嘆かわしいと言う調子で、顔を顰めるのが実に愉快。ところでこの文明開化人の考える日本を象徴するものってなんなのだろう?俳句?歌舞伎?愉快なのは大抵、この手の人たち、俳句にも歌舞伎にも心酔してない為、喩話に引用するなんていう芸ももっていない。

マンガ・ウィーク

アカデミー賞やグラミー賞のスケールダウンしたマネッコを幾らやっても空しいばかり。プリゼンターに工夫してみても所詮あくまで物真似なので−如何にもそれ風に出来たかできなかったという評価しか生まれない。結局電飾チャラチャラの安っぽいパブショーに落ち着く。盗用苦肉の策ではないけれどアカデミーの名を借りたあたりにもともと限界はある。文明開化人は足元不如意だから自分の価値判断で何かを作るのはとても恐い。これだけ隆盛を極めているマンガ・アニメの世界的な大賞を日本で作ってやろうなんて話しは出てこない。

日本が胴元になってマンガ、アニメの世界的な大賞を作って大々的な祭をやるのはイカシテいると思いませんか?祭をやった所でディズニーだってこっちが本家だなんて文句は言わないでしょう。マンガ・ウィークの最後には授賞式を行い、公共放送で世界に向けて中継すれば良い。底の浅さを電飾やニギヤカシのチャラチャラした装置で膨らませる必要はないし、大体こういう企画を立てればなかなか個性的で独自の濃いアイディアが百出するでしょう、何せマニアックな人が多いから。プリゼンターはコスプレで登場して、受賞の挨拶だって、マンガやアニメの台詞を引用したり、モジッタリするのは−今でもみんなやっているしこれだったらなかなか粋な挨拶だってできると思いませんか?

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