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利便

擦りあわせ

「国歌」の立法化をしてから無闇に斉唱する場面に出くわす。なにか違和感が残る。もともとそういう物を作らずに長い間日本は存在してきた。にも関わらず明治になって欧米に合わせて作った。で、そのスタイルも欧米の真似っ子。髪を金髪にして青いコンタクトレンズを入れている匂いがする。「普通の国」「普通の国」と言うもののその「普通の国」にはなかった「元号」法制化のときには日本独自の文化云々と言いたてたはずである。その元号も「昭和60年代」とか「平成ひとけた」はなんだが計算が面倒だから西暦で代用される場面が多くなっている。このままだとますます使用頻度が減り、またぞろ強制するようなことになり兼ねない。いかにも不便を強いられているようで伝統と言うものに反感を抱かせることにならないだろうか。しかし伝統には伝統になるくらいには便利な部分があるわけでなにも不便なものが長く使われてきたのではない筈だ。

歴史的に見れば中国で使われていた元号を日本でも使い出したのが大化。以来の伝統を持っている。その時々でいろいろ変化している。そのなかで現在の使い方は本当に便利なんだろうか?どうもエリザベス朝とかビクトリア朝と言うものを念頭において決めたんじゃないかと思える。今のシステムだと「元号」はそのまま今上陛下の諡号となる。中国の古典からとったものをそのまま使うという。そういう物かな。

ところで、今、元号を西暦と擦りあわせたら問題があるだろうか。あの皇紀2600年も昭和15年はともかく1940年にぴったりあっていたんだから。西暦の切りの良い所に連動して20年、25年や50年という単位の中から選んで元号を使ったほうが便利に伝統を維持できると思うが如何なものだろう。

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