cheer down
Zapple scruffs
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apr 27s - jan 04 /2001
守旧派04.27
ONLY a HARRISONG04.12
煌く施設04.05
舞台装置03.14
逆切れ?02.14
消えた効用02.14
george harrison 祭り01.19
吉例01.04

守旧派

どういう風の吹き回しなのかそれまで小選挙区制にすると独裁になるぞ、と言う論調であったメディアが反転して小選挙区制こそ新時代の政治だと言い出した。その上利益誘導になり、政策優先になどならないから中選挙区制の方がまだましという議員には「守旧派」というレッテルを貼り、旧来の因習に囚われたそれこそ既得権を離さない諸悪の根元であるかのような報道をしていた。ニュース・ショーでもこのテーマで討論させる試みはあった。たまたま見ていたNews 23では小選挙区制支持の議員を「改革派」、中選挙区制がまだマシな小泉純一郎議員を「守旧派」というプレート付きで登場させた。この際小泉氏は「守旧」という呼ばれ方は心外であるし、別に旧を守るわけではない、小選挙区制にはメリットが無いというだけだ、プレートを外してくれと言っていた。ところがまあ予想通り男女のキャスターはニヤニヤ笑って誤魔化すだけだった。

派閥均衡の組閣はなんといっても批判もしやすかったし、雛形を使って名前だけ書きかえれば使いまわしができて、楽でよかった?。進歩派気取りの実は守旧派なメディアにとってはなかなか扱いにくい総理大臣が登場した

apr.27.2001
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ONLY a HARRISONG

今更ディスコグラフィでもないだろうなぁとは思う。データの充実したwebも多いし、また一方で感想文を並べあるwebもある。正直な所ある種の似たような穿った見方の評も結構あるし、あれこれ切り貼りした感想もあまり面白くない。かといって真面目に感想を述べてあるものが面白いかと言うとこれまた退屈だったりする。

結局、あまり見かけない、逆にいえば不要だと思われていることを織り交ぜてのちょっとしたアルバム・ノート。検索でたまたま迷い込んできてしまった人にいくらかでもお役に立てる部分でもあれば良いのだけれど。
george harrison - ONLY a HARRISONG

apr.12.2001
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煌く施設

整備新幹線についてこれまで新聞などのメディアはもっぱらあんなもの必要無いという論調だった。どうせ赤字をばら撒くだけという事で。でも都知事が似たような事を言うと何故か都会の論理だなんて書いている。定見が無いのか、とりあえず知事にアンチでいるのが快適なのか、それともその地方の読者獲得の為に阿っているのか計りかねるけれど。

冬のオリンピック招致を巡ってはかなり場当たりなこういっては何だけど闇雲な議会運営をした県議会。ところが新聞は長野県知事が気に食わないのか地元の有力者に阿っているのか、広告収入の為なのか国会よりも遥かに独善的だと思われるその議会を応援している。是是非非なんてもともとそんなセンスが無かったんだから無理なんだろうけれど、それにしてもなんだか安っぽい。

トマムにしてもシーガイヤにしても施設は煌く。設備だって半端なものではない。にもかかわらず利用者は少なかった。閑散としているが決して長閑なわけではない。巨額な投資に見合う収入が生まれない。

これまで福音だと−都会の論理で思われてきた巨大な公共事業が地元にとっては煌かなくなってきた。整備新幹線も駅舎の極々周辺は賑わうとしても地域全体にとっては収入が増えるわけではない。もちろん便利は便利で、それこそより大きな都市へのアクセスはとても楽になる。都市からも人はやってくる。そこに都会のコピーをみてなんだたいしたことはないと結局蜻蛉帰りされる。

ところで都会からみて煌く施設とはどんなものか。早い話人工芝に造花で飾り立てられてもうんざりである。かといって不便なほんとの自然が好きなわけではない。アスファルトではなく、尚且つ土埃は立たず、醜い電柱や車は地下に潜り、空は広がり道の両側には比較的背の高い木々が風にゆれている、そんな道に導かれる。施設に着く。巨大な看板やネオンなどもってのほか、プラスティックに蛍光燈をいれた看板なども興ざめ。飛び石が表玄関へと続く。扉は中を見通せるが安っぽいサッシュはいただけない。たたきは明るく広いが蛍光燈が煌煌と照らしているわけではない。建物はたとえ合板を使っていても付き板仕上げ。ノスタルジックな感じは歓迎されても埃はご遠慮したい。品数を競うような大臣料理はもう結構。たとえ食堂でも羹は熱く冷たいものは冷えたまま、頃合いを計りながら給仕されたい。それでいて値段は至って安く、パック旅行とさして違わずという。まさに自分勝手な都会の煌く要求。

apr.5.2001
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舞台装置

板に色紙を皺が出るように貼り付けてヴォリュームを演出する装置は多用されています。欠け割タイルや石系の素材感をイメージしていると思います。劇場で生で見ると照明の加減などで−なおかつ興味は役者であるから−充分役目を果たしているのですが、茶の間の場合はテレビカメラの解像度が上がっているのか、どうも板に紙を貼りつけた装置に−そのままに見えてしまいます。そうはいっても比較的短時間で(実際のタイルを貼る時間に比べれば)、尚且つ用が済めば簡単に片づけられるという便利さはあります

ところで何かの加減で舞台を片づける場面に出くわすとなんとも興醒めするものです。華麗なる王宮はベニヤ板の工作にペンキ塗りであったり、恋人達を照らしたあの星も七夕の飾り物にも劣るチャチな紙細工であったりします。

何か違っていた、オーラが出ていたなどという言葉で語られ人とは違う存在と評されたアイドルがその実、板に紙を只貼ったような物だった事が−つまりダァレも特別なんて思っていない−事がこうも露骨に見せられるのは何とも興醒めですね、別にファンではないけれど。一昨年は茶の間で見ていた番組で今年はグランプリを獲り、そして来年はまた茶の間で見ている。アイドルすら単なる舞台装置。

mar.14.2001
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逆切れ?

冷え切った関係から逆切れへと進行中の朝日新聞「首相ことば」。19日(20日掲載分)では番記者が首相に、もうゴルフをしないと宣言しろ、と迫っている。論理が成り立っていないし、これで一体どんな答えが出てくるんだろう?言質を取るといってもなぁ。すぐに辞任しろとか止めろとか言うんだけど、それで良くなった事はあんまりないけどね。人心一新で済むほど現状は明るくないし。

feb.20.2001
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消えた効用

「都電が走った街 今昔」(JTB キャンブックス)という本があります。都電の電停付近を定点とした写真を対比させるものです。「昔」が都電の廃止される1967年あたりまで「今」が1996年の約30年を比較しています。まあ並べてあるからそうなのかと思うのですが、殆ど跡形もないような所が多い。なんといっても高度成長期とバブルをまともに挟んでいますから。

昨年、今度は「京都市電が走った街 今昔」(JTB キャンブックス)が出版されました。こちらは廃止の時期が1978年で「今」が1999(一枚だけ2000)年と21年で比較しています。高度成長後の時期とバブル(の建物は北山通りに多かった)の影響も受けにくく景観論争がなんどなく起こる京都ですし、寺社仏閣も多いので比較的変化は穏やかです。逆に1961年に廃止された北野線での変化はかなり大きい。何の縁もないのに最初に行った時に帰ってきたと思った京都が激変していないのはなんとはなしに嬉しいような気もします。もっとも変化がない為活気がないとか他の街と比較して田舎臭いと感じている市民も居るでしょうが。

ところで東京版で定点を判断する際、役にたっていたのが金融機関。建物は変化しても所在地は変化しない事が多かった。ところが京都版ではここにも変化があります。1990年代には烏丸四条の建物も建て替えようとはしていたのですが、それに加えての再編。何かと批判されているあの業界の、数少ない?効用の一つが消えてしまった

feb.14.2001
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george harrison 祭り

All things must pass がリマスターされる。ジョージ・ハリスン祭りしなきゃ、と思いつつもどうもイイアイディアもないのだけれど。このwebsiteの cheer down もジョージの曲から貰っているし、このページのタイトル Zapple scruffsにしてから All things must pass に収録されている apple scruffs を zapple にしただけ。そんなに大ファンだとは思ってはいないのだけれど、Wonderwall Musicもアナログ時代に買ったし、評判にもならなかった Gone Troppo もリアルタイムで買っていたり。もっとも最近の動向は、Formula-1 の中継でたまに元気な姿を見掛ける程度しか知りませんが。

とりあえず祭りの挨拶代わりに1970年初頭のジョージのダークホースぶりをすこしだけスケッチしてみました。
george harrison - dark horse

jan.19.2001
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吉例

満艦電飾よろしくピカピカしている割には豊かな気分にならないテレビ番組に飽きた頃、ニュー・イヤーコンサートは始まる。ウィーン楽友協会大ホールに大航海時代の略奪を見るかメンテナンスの大切さを痛感するかフラワー・コーディネートの威力を思い知るかはともかく絢爛であることは確か。それでいて無作法に色を使っているわけではないからドレスアップした衣装をスポイルするなんて事もない。

ところで日本側の演出で、曲間にワザワザおしゃべりをいれるのですがあれは止めた方が良い。吉野直子さんのハープは好きだけど(クレメールとの共演も良かった)、司会者だってともかく喋らなければいけないから見てればわかる事(見てなくても役に立たない情報)をいちいち見つけるのに骨を折っていた。無用な親切大きなお世話です

そう言えば1980年代の終わりにはボスコフスキー自ら東京でニューイヤー・コンサートが開かれた事もありました。まだバブルの頃だったんですね

アーノンクールの希望でオリジナル演奏というのも聞き物でしたが、恒例の「ラデツキーマーチ」の手拍子もそれなりに毎年違う。なんであれアーノンクールはもとよりアバド、マゼール、シュライバー・・・・それにカラヤンに指揮されるなんてことは滅多にありませんからね。初夢みたいなものかな。

ブライアン・ラージの演出も多少は変化してきて、以前は「美しきあおきドナウ」でバレーの映像が使われていたものがドナウの俯瞰に変ってきた。それでも基本的な部分は変らず無駄な演出はない。ちょっとぼんやりしながら豪華な正月気分になれます

jan.4.2001

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